わたしたちは「日本聖公会」(にっぽんせいこうかい)という教団に属する教会で、一般的には「聖公会」(せいこうかい)と呼ばれています。
聖公会とはHoly Catholic Churchの漢訳で、漢字圏の国ではこの名称が使われています。
この聖公会は、宗教改革の中からイングランドで生まれたキリスト教の教派です。政治的な背景により、当時のローマ教皇から自身の離婚(正確には婚姻無効)が認められなかった当時の国王ヘンリー8世は1534年、「国王至上法(首長令)」を発布し、イングランドの教会はローマ・カトリック教会(そしてその首長であるローマ教皇)の宗教的・政治的支配から脱することを宣言しました。その後、ローマ・カトリック教会に復帰した時期を経て、ヘンリー8世の娘であるエリザベス1世の治世下の1559年、英国独自の教会が確立しました。それゆえ、聖公会はイングランドでは「英国教会」または「英国国教会」と呼ばれます。
宗教改革時にできた教派であることから、プロテスタント諸教派に数えられながらも、教義的には初代教会から連綿と続く主教・司祭・執事の3聖職位、聖奠(サクラメント)を保持しており、ローマ・カトリック教会と他のプロテスタント諸教派とをつなぐ「橋渡しの教会」と呼ばれることもあります。
各国の聖公会の集まりをアングリカンコミュニオンといい、カンタベリー大聖堂を総本山とし、カンタベリー大主教を精神的指導者としています。アングリカンコミュニオンは、現在では非英語圏にも広まり、世界約160か国で約7000万人の集まりとなっています。
聖公会が日本に初めて伝わったのはキリスト教禁制下の1859年(安政6年)です。アメリカ聖公会からチャニング・ムーア・ウィリアムズとジョン・リギンスという2人の宣教師が上海から長崎に上陸、特にウィリアムズはその後初代の江戸監督(現在の東京地域の主教)となり、長く日本における宣教の働きを担っていくことになります。キリスト教禁令が廃止された後は、英国、カナダ聖公会の宣教師団も伝道に加わり、1887年(明治20年)「日本聖公会」が創設されたのです。
現在、日本聖公会は北海道から沖縄に至る全国11の教区によって構成され、約300の教会があります。教育・医療・社会福祉にも力を注ぎ、立教学院、立教女学院、香蘭女学校、聖路加国際病院、清里清泉寮、エリザベス・サンダース・ホームなど、日本社会に200余りの施設と働きを持って社会と人々に日々奉仕しています。