教会報「聖鐘」巻頭言(2021年12月)

クリスマスをむかえて

 

牧師 司祭 バルナバ 大野 清夫

 

クリスマスおめでとうございます。

 

私たちはクリスマスをおめでとうと祝います。しかし聖書は降誕物語を怖れと緊張感をもって語ります。

 

御子を宿したマリアは、神の子を産むことは自分には出来ないと思ったのでした。マリアは躊躇した後、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と神の御意志を受け入れます。恐れは信仰をもって受けとめられたのです。宿屋に泊めてもらえぬマリアは、信仰をもって困難に立ち向かい、馬小屋とも思われる所で神の子を産んだのでした。

 

このことを思う時、今日、キリスト降誕の出来事があまりにも美しい物語となっていることに気づきます。この世で歓迎されることのない神の御子を産んだマリアは、激しい気性の持ち主であったに相違ないのです。  

 

静かな表情のマリアの絵画、そしてマリア像から、私たちは困難を踏み越えて偉大な神のみ業へと導かれたマリアの信仰、勇気、決断力、秘められた情熱を知ることが出来ます。私たちの信仰は聖書に基づくものですが、その信仰を豊かにするものとしてキリスト教絵画、彫像があります。それらを見て祈るという信仰の営みが大切です。

 

前カンタベリー大主教ローワン・ウイリアムズはこのように述べます。「イコン(像)によって、わたしたちは自分たちの世界を明快に理解する。それと共にわたしたちはイコンによってかけ離れた世界への窓を与えられる。イコンは、それを見る人へ他の世界のエネルギーを伝達するルートとして描かれたのである」(『失われたイコン』Lost Icons)。

 

 マリア像を見ること、マリアの絵画を見ることは、単なる美術鑑賞にとどまりません。見ることは祈ることなのです。私たちはマリアのイコンによって、より深くマリアの信仰を省察することが出来ます。そしてその省察によって、マリアのエネルギーが、今を生きる私たちに与えられます。自分が生きていることの霊的な意味を省察することが出来るのです。「お言葉どおり、この身に成りますように」。このマリアの信仰は困難に直面した人々に神の知恵を与えます。そのマリアが今、私たちの目前におられます。