教会報「聖鐘」巻頭言(2022年10月)


降臨節を迎えるために

(ルカによる福音書23章35~43節)

 

牧師 司祭 バルナバ 大野 清夫 

 

「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。この受難のことばを、わたしたちは主イエスの降誕を準備する降臨節の前主日に読みます。

 

これは、降誕される救い主は死ぬ人だ、と語る教会の祈りです。

 

人生は死を見つめた時に豊かになります。富や地位が人を救うことはありません。日々の生活において死を覚えるならば、わたしたちの生活は霊的に深まっていきます。

 

中世ヨーロッパの格言に「メメント・モリ」というものがあります。それは「死を忘れるな」という意味です。ヨーロッパの人々は死を日常の中で見ていたのです。モーツァルトも「死はわたしの友達」と語っているのですから。

 

平安時代の歌人紀友則は「吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思いけるかな」と詠んでいます。晩秋の物寂しさを「色なきもの」と語る友則は、この世のすべては根底において無色で冷たい「無」であり死の影に伴われている、秋風はそのことを告げているのだ、と歌うのです。

 

わたしたちの心のどこかにも、「空」か「無」という「色なき世界」が潜んでいるように思います。わたしたちが感じる、ワビ、サビの心境とは、その「無」という悲しみから生まれ出るもののようです。笑顔の下にも悲しみが横たわっているかもしれないのです。その物寂しさからわたしたちを救おうとされる方が主イエスなのです。悲しさ、虚しさの時に、より十分にわたしたちを生かそうとされる方が神なのです。

 

主イエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。それは、苦難そのものである十字架の上にも、神の恵みが豊かに降り注いでいることを語ります。

 

諸聖徒日で世を去った人々を覚えた後、教会の暦は降臨節へと進み、救い主の降誕を準備します。この地上を去った命を想い、この地上に来る命を祈る期節です。命、この尊いものがわたしたちのなかに満ち満ちる期節を、大切に、静かに過ごしたいと思います。