招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない(マタイによる福音書22章1–14節)
牧師 司祭 バルナバ 大野 清夫
神の招きに応じることは自分の畑や商売を大切にしていては出来無い。自分のことに熱心であれば自らが滅びる、と聖書は語ります。
毎年ノーベル文学賞が話題になります。近年では英国籍ですがカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞されています。カズオ・イシグロさんの作品に共通するテーマは、「大きな力、たとえば時代の激動などに翻弄される人々の悲しみ」の追求であると言われます。その動機についてカズオ・イシグロさんは、2011年のインタビューでこのように語っています。
私は戦争が終わって10年経って生まれた。もし数十年前に生まれたら、私は両親の生きた時代をどう生きただろうか、と自問自答している。
私は時代の犠牲者という人々について、深く考えるようになった。彼らは悪人でも愚かでもなかった。慎み深い人生を送ろうとしていた人々なのだ。
しかし、慎み深く生きようとした彼らの人生は踏みにじられた。この事は強烈な印象を私に与えた。かれらは時代の空気の外側に立つという高度な能力は持ち合わせていなかった。
当時のシステムに勇敢に立ち向かった人はいただろう。ただ大部分は「これが正義だ」というものを受け入れた。自分が正しいと思うことに全力を尽くしたが、間違っていると分かった時にはもう遅かった。
歴史や社会を動かすシステムはとても複雑で、それを読み解くことは難しい。知識人が、今何が起こっているかを叙述した論文も、30年経ってみれば正しい記述はほんの少しだということに気づくだろう。
「良い人生とは何か」とは、最も深く困難な命題だ。ソクラテスもプラトンもその問題を考えて来た。シンプルな答えを出すことは困難だ。私たちは、「良い生活とは成功することだ、金を稼ぐことだ」と教えられている。そんなはずはない。そのことを私は『私を離さないで』で書いた。
残された時間が少ないなら、大切なのは愛する人や親しい友人なのだということを。皆さんに人生の時間がいかに貴重か気づいて欲しい。そして「良い人生とは何か」について問い直してもらいたい。
このイシグロさんが語るものをキリスト教信仰から考え直すと、このようなことではないでしょうか。私たちは神に招かれている。しかしこの地上の交わり、人間同士の現実に捕らわれて無駄な人生を送っていないか。数の論理は強力だがそれで救われるわけではない。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」。何が大切か、何が幸福か、しっかり考えてこの地上を生きたい。