「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカによる福音書1章38節)
牧師 司祭 バルナバ 大野 清夫
冬木立に鐘の音が響く季節の到来です。町中で見かけるきらびやかなクリスマスの飾り付けに反するように、福音は身重のマリアが宿に泊めてもらえず、小さな部屋で神のひとり子をお産みになったことを語ります。
身重にも関わらず宿に泊めてもらえなかったマリアの心は重かったでしょう。しかしマリアの心は決断に満ちていました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、神の御意志を受け入れたのです。マリアは信仰をもって、自分に起こった困難に立ち向かったのでした。恐れは信仰をもってしか受けとめることが出来ません。このことを思う時、今日、キリスト降誕の出来事があまりにも美しい物語となっていることに気づきます。
神の御子を身ごもったマリアの姿には、静かな瞑想と共に現実の困難に立ち向かう激しさが秘められています。マリアの賛歌は「思いあがる者を打ち散らし、身分の低い者を高く上げ」と語るのです。
マリアの絵画から、そしてマリア像から、私たちは困難な現実を踏み越えて、偉大な神のみ業へと導かれたマリアの信仰、勇気、決断力を学ぶことが出来ます。私たちの信仰は、聖書に基づくものですが、その信仰を豊かにするものとしてキリスト教絵画、彫像があります。それらを見て祈ることは、信仰の営みです。
カンタベリー大主教ローワン・ウイリアムズはこのように述べます。「イコン(像)によって、私たちは自分たちの世界を明快に理解する。それと共に私たちはイコンによってかけ離れた世界への窓を与えられる。イコンは、それを見る人へ他の世界のエネルギーを伝達するルートとして描かれたのである」(『失われたイコン』Lost Icons)。
マリア像を見ること、聖画を見ることは、単なる美術鑑賞にとどまりません。イコンは時空を超える窓なのです。その窓から私たちはマリアの生きた場へとたどりつくことが出来ます。見ることは祈ることです。私たちはマリアのイコンによって、より深くマリアの信仰を省察することが出来るのです。そしてその省察によって、「お言葉どおり、この身に成りますように」という信仰のエネルギーが私たちに与えらます。そのマリアが、降誕日を迎える私たちの目前におられます。